ギャップイヤーへの想い

発祥の地イギリスでは、ギャップイヤーを有意義に過ごすと、その後の学生生活や社会人生活に良い影響があるとされています。


新しい知識や経験を得ることに加えて、自分が今までいた環境を客観的に見直して、気づきを得る機会になると考えられているからです。内容は本業と異なることでも、ネガティブなことでもよく、今までとは違う新しい視座を得たり、今ある資源や足元の価値に気づくことを目的とします。僕の場合、世界一周で新しい視座を、入院で足元の価値を実感しましたが、何よりギャップイヤーで最も大切なことは、「自ら人生をコントロールしている」という感覚なのです。実は世界一周中よりも、休学してお金を稼いでいた前半の半年間こそ、その実感を強く得ていた気がします。


実際に体験した者として、この効果に賛成しつつ、僕はよりシンプルに「もっと地球を楽しんでほしい」という思いから、日本にギャップイヤーの文化をつくりたいと考えています。


しかしながら、特に日本では履歴書の空白に良い印象は持たれません。たとえ病気や怪我、あるいは育児などが原因であっても変わりません。ましてや、そういった真っ当な理由がない場合の空白は信用をガタ落ちにします。つまり「転んだら終わり」の社会だと言えるかもしれません。だから休暇を取ることも、休学や転職することも目には見えないハードルがあると感じてしまうのだと思います。

一方、我々はなぜ生きているのでしょう?僕は「人生を楽しむため」だと思っています。もちろん仕事が楽しければ最高です。僕も仕事が楽しくて夜遅くまで没頭した期間があります。でも、それ以外にも、この地球には楽しい世界がたくさんあることを、旅や出会いから経験しました。


その経験をするために「ギャップイヤー」という免罪符を使ってほしい。


さらに言えば、社会に対して無関心な人が増えていると言われますが、その多くは「本当のことをちゃんと知らないだけ」ではないでしょうか。つまり「無関心」ではなく「未認知」。その解決策の一つとなるのが、越境学習(小さなギャップイヤー)だと思います。


ここ数年、世の中はどんどん余裕がなくなってきているように感じます。「車間距離を5センチしか取らずに時速100キロで疾走しているようなもの」という表現もあります。一瞬のミスも速度の低下も許されない社会です。しかし車線を外れて、ほんの少しだけスピードを落として、この星をより自由に、より楽しむ人が増えたら、それだけで自然環境も人間社会も、未来はより良い方向に向かっていくと確信しています。逆にいえば、そこからしかスタートはないのだと思います。


世間に目を向けると問題は山積みですが、全ては「触れる」「楽しむ」ところから始まります。例えば、サーフィンを通じて海の美しさに触れることで、海洋ゴミ問題に興味を持つ。農作業を手伝うことで作物のありがたみを感じ、食料問題に興味を持つ。僕はそんな「きっかけ」を、Gap Studioを通して提供していくことで、世界の平和に貢献していきたいと考えています。

Gap Studio

ーもっと地球を楽しもうー ギャップイヤーの学校。

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